Blueskyの未来を考える:分散型SNSが抱える課題と可能性

Blueskyは「分散型SNS」という旗印のもと、中央集権的な運営から自由になることを目指している。Twitter(現X)のように一社がサービス全体を握る構造ではなく、複数のユニットがネットワークを構成し、それぞれが独立して動きながらも接続されている状態を理想としている。

しかし現実を見渡すと、その理念を貫くにはまだ多くの壁が立ちはだかっている。ここでは、モデレーションから法律、運営主体、資金繰りに至るまで、Blueskyが抱える課題と可能性を整理してみたい。


コミュニティによるモデレーションの限界

当初Bluesky Socialは「コミュニティによるモデレーション」を掲げていた。つまり、それぞれのユニットが自治的にルールを定め、ユーザー同士の関係性の中で健全な環境を維持していくという発想だ。小規模なコミュニティならば、この仕組みは現実的に機能する。昔のBBSや初期のSNSでは、コミュニティの空気感がそのまま規律となり、ユーザー数が少ない分だけ調整も効きやすかった。

しかし、ユーザー数が増加した現在のBluesky Socialでは、理想どおりにはいっていない。現実には中央集権的なモデレーションに頼らざるを得なくなり、分散型という理念との乖離が生じている。分散を掲げながらも、巨大化すれば従来型の管理モデルに回帰してしまう──そこに限界が見えている。

さらに、もし本当にユニットごとにコミュニティ主導でモデレーションを行えば、運営は泥臭い作業の連続になる。違反者をどう扱うか、何を許容するかは価値観の衝突を避けられず、ときには「合わない人を排除するだけ」の空気が生まれてしまう可能性もある。分散という理念が、多様性を守るどころか逆に疎外の温床になるリスクもあるのだ。


アナーキーと多様性

もし真の分散が実現し、ユニットレベルでの自治が機能しつつ、国交のような結びつきによって全体ネットワークが形成されれば、その中には必ず「アナーキーでアンセンサードなノード」も生まれる。

こうしたノードは、強い自由を求めるユーザーにとっては理想の場だ。国家やプラットフォームによる検閲から切り離され、思考や表現を制限されない環境が確保される。しかしその自由は、しばしば過激な発言や違法なコンテンツ、社会的に容認しがたい活動までも受け入れることになりかねない。ネットワーク全体から見れば、健全性と信頼性を損なうリスクをはらんでいる。

また、あるユニットでBANされたアカウントが別のユニットに参加し、活動を継続できるという仕組みも、自由の象徴であると同時に課題の種でもある。中央集権的なSNSではアカウント停止が事実上の「社会的死」を意味するが、Blueskyでは完全には機能しない。その緩さを「救済」と見るか「無責任」と見るか──ここにも賛否が分かれるポイントがある。


法律との整合性

現状、Blueskyの中心にあるのは「Bluesky Social」という巨大ユニットだ。その規約はアメリカ国内法やEUの法律をベースにしている。しかし、世界中のユーザーがアクセスしているにもかかわらず、必ずしも各国の法律に準拠しているわけではない。

たとえば日本のユーザーは、国内の法律や規制の枠内で活動しているわけではない。日本の法制度と照らし合わせればグレーゾーンのまま運用されている部分もある。これは国際的な分散ネットワークの宿命であると同時に、大きな「いびつさ」だ。

将来的には、各国ごとにユニットを設置し、その国の法律に沿った運営が求められる可能性がある。しかしそれは、分散の理念と各国の規制をどう調和させるかという難題を突きつけることになる。


誰がユニットを運営するのか

仮に日本でBlueskyのユニットを立ち上げるとしたら、誰が運営するのだろうか。個人エンジニアでも構築できる規模のユニットもある一方で、安定したサービスを提供し続けるには研究機関や企業、さらにはインフラ系企業の力が不可欠になる。

だが、分散ネットワークの要素技術が進んでも、最終的に「誰がケツを持つのか」という問題は避けられない。電気代や回線費用、トラブル対応や法的リスクを引き受けるのは、理念だけでは解決できない現実的な課題だ。結局、ユニットを維持するための責任と負担をどう分散させるかが、今後の持続性を左右する。


資金と持続可能性

そして忘れてはならないのが、運営資金の問題である。 現在のBluesky Socialは投資ラウンドで得た資金で運営されている。しかし本格的な収益化の道筋はまだ見えていない。試みとしてはドメイン販売やTシャツ販売などがあるが、それだけで継続的に運営費をまかなうのは到底難しい。

もし投資マネーが尽きれば、サービスそのものが解散の危機に直面する。分散型ネットワークであっても、基盤となる運営体は経済的に自立しなければならない。この持続可能性をどう担保するかは、Blueskyの将来像にとって決定的に重要なテーマだ。


おわりに

Blueskyは「分散型SNS」という理念によって、自由と多様性を実現する可能性を秘めている。しかしその裏側には、モデレーションの方法、法律との整合性、運営主体の責任、そして資金繰りという現実的な課題が山積している。

理念と現実のせめぎ合いをどのように乗り越えるか──それがBlueskyの未来を決める分水嶺になるだろう。分散という理想に惹かれる多くの人々の期待を裏切らないためにも、今後の試行錯誤に注目していきたい。

追記:Blueskyネットワークのユニット構造と維持の方向性

Blueskyのネットワークは、階層的なユニット構造で捉えることができる。最上位にはBluesky SocialのようなユニットAが存在し、アプリ・リレー・プライベートデータといったモジュールを全て備える旗艦的な存在となる。その下に、インフラモジュールを部分的に担うユニットBがあり、さらに個人のポケットマネーでPDSのみを運営し、上位にデータを委ねるユニットCが連なる。

こうした構造を前提にすれば、Bluesky全体は 全体ネットワーク > ユニットA > ユニットB > ユニットC という形で成り立ち、nostrなどの仕組みも基本的にユニットBとCの組み合わせが最小単位と考えられる。

また、ひとつのユニット規模は「ダンバー数」(およそ150人)程度に抑えるのが現実的だろう。招待制と組み合わせれば、コミュニティとしての一体感を保ちながら運営できる可能性がある。

MastodonやActivityPubとの違いは、国交が確立している限り、表面的にはすべてのアカウントが同一ネットワーク上に見える点だ。Bluesky Socialのクライアントからでは、所属するユニットが異なっていても目を凝らさなければ分からない。このとき、**「どこのユニットのドメインに属しているか」**が、アカウントの信頼性や身元保証の拠り所になるだろう。

さらに、持続可能性の面では、広告や投資に頼らない仕組みが模索されている。現実的な方策のひとつは、利用者に年額2万円程度の会費を一括で支払ってもらうというモデルだ。泥臭くとも、こうした直接的な収入がネットワークの維持においては有効な打ち手となり得る。