はじめに:約束された自律性の空洞化
Bluesky(AT Protocol)は「分散型ソーシャルメディア」として登場し、独自ドメインを使ったDID(分散型アイデンティティ)によって「プラットフォームに縛られない自由」を約束した。@yourname.comというアイデンティティを手に入れれば、Twitter/Xのような中央集権的プラットフォームから解放される──そう謳われていた。
しかし現実には、カスタムドメインの設定はBluesky Socialへの課金チャネルとなり、ユーザーが得るのは「見た目の独立性」という記号だけである。インフラの支配権は依然としてプラットフォーム側にあり、「所有権」と「利用権」の混同によって、真の自律性は巧妙に隠蔽されている。
本稿では、ATP/Blueskyの三層構造(ユニットA/B/C)を分析し、現状の構造的欺瞞を明らかにしたうえで、WordPressのような「ミニマル自律ユニット」による真の分散化への道筋を提示する。
第一部:三層ユニット構造と「ユニットB不在」の問題
現状のBlueskyエコシステム
ATP/Blueskyのエコシステムは、理論上は以下の三層構造で成立する:
ユニットA(フルスタック統合型)
Bluesky Social(PBC)のような事業者が、PDS(個人データサーバー)、Relay(データ配信)、AppView(表示・検索)、Feed Generator(アルゴリズム)、Labeler(モデレーション)のすべてを垂直統合で提供
ユーザーは「利用者」として参加し、プラットフォーム体験を享受
ユニットB(部分インフラ提供型)
特定コミュニティや地域が、RelayやAppViewなどの中間レイヤーを独自運営
複数のPDSを束ね、ローカルなソーシャルネットワークを形成
理論上は「日本語圏Relay」「学術研究者向けAppView」などが想定される
ユニットC(PDS単独型)
個人が自前のサーバーでPDSを運用し、データの物理的所有権を確保
ただし、RelayやAppViewへの接続なしには、実質的にネットワークから孤立
決定的な問題:ユニットBの不在
現状では、ユニットBがほぼ存在しない。つまり、ユニットAとユニットCの間には巨大なギャップがあり、中間選択肢が欠如している。この構造的欠陥こそが、Blueskyが「分散型」を標榜しながら実質的には集中型プラットフォームとして機能している根本原因である。
WordPressが成功したのは、「共有ホスティング」という中間レイヤーが豊富に存在したからである。技術的知識が乏しい個人でも、月数百円で独自ドメインを持ち、カスタマイズ可能なウェブサイトを運用できる。一方、Blueskyでは「Bluesky Socialを使うか、自分でインフラをすべて構築するか」という二択しかない。
第二部:DIDという「シンボリック自律性」の欺瞞
独自ドメインは何をもたらしたか
ATPの設計思想の核心には、「独自ドメインをDIDとして使用することで、プラットフォーム非依存の永続的アイデンティティを獲得できる」という約束がある。しかし実態を観察すると、以下の構造が見えてくる:
表向きの約束
@yourname.comという独自ドメインが分散型アイデンティティとして機能プラットフォームを跨いで移行可能な「ポータブルID」
データ所有権のユーザーへの返還
実際の実装
カスタムドメイン設定はBluesky Social経由で年額課金(ただし、自前で用意することも可能)
ドメインを持っていても、PDS/Relay/AppViewの選択肢は実質的に存在しない
bsky.socialから離脱すると、ネットワークから実質的に切断される移行先のインフラ(ユニットB)が存在しないため、ポータビリティは机上の空論
つまり、ユーザーが購入しているのは「@yourname.comという文字列」というシンボルであり、その背後にあるべき「自律性」「選択の自由」「ポータビリティ」はすべて空約束なのである。
Emailとの決定的な差異
この欺瞞性は、Emailと比較すると一層明確になる:
Email:実質的な分散化
独自ドメイン + MXレコード設定で、自前のメールサーバーを持てる
Gmail、自社サーバー、レンタルサーバーなど選択肢は豊富
移行コストは低い(DNS変更のみ)
プロバイダ間でメッセージは相互運用可能
Bluesky:名目的な分散化
独自ドメイン + DID設定で、「自律性」を得たように見える
しかし実際のRelay/AppView選択肢はゼロ
移行先が存在しないため、実質的にロックイン
データの「所有権」はあるが、「利用権」はプラットフォーム依存
Emailは「各組織が独自サーバーを持ちつつ、相互送信可能」という真の連合型システムを実現している。一方、Blueskyは「データレイヤーの分散」を強調するが、「計算レイヤーの集約」によってユーザーは依然としてプラットフォームに従属している。
「所有権」と「利用権」の混同
ATPの設計における根本的欺瞞は、「所有権」と「利用権」を意図的に混同している点にある:
所有権は名目的:PDSに自分のデータがあっても、Relayを通さなければネットワークに配信されない
利用権はプラットフォーム依存:AppViewがなければデータは「見えない」
移行権は理論上のみ:移行先(ユニットB)が存在しないため、ポータビリティは空文句
これは、「あなたは自分の家を所有していますが、道路と水道と電気は一社独占で、引っ越し先の土地は存在しません」と言われているようなものだ。形式的な所有権は与えられているが、実質的な利用可能性はプラットフォームに握られている。
第三部:真の分散化への道──「WordPress型エコシステム」の構築
ユニットBを成立させる三つの条件
Blueskyが真に「分散型」となるためには、ユニットB(部分インフラ提供型)が実効的なエコシステムとして成立する必要がある。そのためには、以下の三つの条件が不可欠である:
1. 技術的参入障壁の劇的な低減
現状のRelay/AppViewは、企業規模のインフラを前提としている。これを「個人がレンタルサーバーにWordPressを構築する」レベルまで引き下げる必要がある。
具体的には:
Docker Compose一発で起動する標準構成:PDS + 軽量Relay + 軽量AppView + リバースプロキシをワンセットに
ストレージ肥大化の防止:差分同期 + TTLベースの自動削除(「最近30日 + 自分の投稿 + ピン留め」のみ保持)
段階的スケーリング:初期は10ユーザー対応、必要に応じて拡張可能な設計
メモリ2GB、ストレージ20GB、月間転送量100GB以内での運用実証
2. 経済的持続可能性の組み込み
ユニットBが長期的に運営されるためには、適切な収益モデルが必要である。ボランティアベースでは限界がある。
実現可能なモデル:
協同組合型運営:「月100円 × 100人 = 月1万円」で小規模Relay/AppViewを維持
マイクロペイメント層:プリペイドクレジット方式(「100円で100GB帯域 + 1万投稿分のインデックス」)
パブリックグッズとしての助成:大学図書館、研究機関、NGOが公共インフラとして運営(研究助成金の活用)
専門特化型の課金:「学術論文特化AppView」「写真特化AppView」など、付加価値で差別化
3. 「ローカルファースト + グローバル検索はオプション」の設計思想
すべてのユニットがすべてのデータを持つ必要はない。むしろ、「自分たちのコミュニティ内では完結」しつつ、必要に応じて外部に接続する、というハイブリッドモデルが現実的である。
階層的縮退モデル:
レイヤー1:Personal Pod(PDS + ローカルキャッシュ型軽量AppView)
レイヤー2:Community Relay(地理的/テーマ的クラスタ単位での部分Relay)
レイヤー3:Federated Index(オプトイン型の横断検索)
近傍優先の段階的フェデレーション:
デフォルトはローカルファーストタイムライン(同じCommunity Relayに接続する数十〜数百ユニット)
「橋渡しユニット」(voluntary bridge nodes)が異なるクラスタ間を疎結合で接続
グローバル検索は「コミュニティ図書館モデル」:信頼できる第三者がインデックスサービスを提供し、個人ユニットは必要に応じてクエリを投げる(push型ではなくpull型)
ユニットBの具体的類型
実装の方向性を具体化するため、ユニットBの類型を以下のように整理できる:
B1: コミュニティRelay + 共有AppView型
特定テーマ/地域コミュニティが運営(例:「日本語圏Relay」「学術研究者向けRelay」)
接続PDS:数十〜数百(メンバーシップ制)
運営形態:協同組合、NPO、大学サークル
B2: マネージドPDS + 軽量AppViewホスティング型
「Bluesky版レンタルサーバー」
ユーザーは自分のPDSを持つが、インフラ管理は委託
料金例:「月500円でPDS + 基本AppView + カスタムドメイン」
B3: 専門AppView + プラグインRelay型
特定用途に特化(学術論文共有、写真SNS、長文投稿など)
既存Relayからデータ取得 + 独自フィルタリング/UI
例:「arXiv風Bluesky」「Instagram風Bluesky」「Medium風Bluesky」
技術的ブレイクスルーの方向性
ユニットBを実現するための技術的課題は、以下のアプローチで解決可能である:
「選択的購読」アーキテクチャ
Relayは「フルfirehose購読」ではなく、特定DIDリスト、ハッシュタグ、言語フィルタによる部分購読を標準サポート
AppViewは「完全インデックス」ではなく、「部分インデックス + キャッシュ戦略」
協調型インフラシェアリング
複数のユニットBがRelay負荷を分散:地理的ロケーション、時間帯、トピック別に自動ルーティング
DHT(分散ハッシュテーブル)的な検索:「投稿ID → どのAppViewが持っているか」を効率的に解決
軽量化のための技術スタック
リポジトリの差分同期:ATPの
commitベースの設計を活用し、BitTorrent的なpeer-to-peer chunkingBloom filterによる軽量ルーティング:全データを持たずに確率的インデックス
WASMベースのクライアントサイド処理:フィードアルゴリズムやモデレーションロジックをブラウザ側で実行
第四部:実装への段階的ロードマップ
フェーズ1:ユニットB-miniの標準リファレンス実装
目標:技術者コミュニティが「週末プロジェクト」として立ち上げられるレベルの簡易実装
成果物:
docker-compose.yml一発で起動する「10ユーザー対応Relay + AppView」初期設定は
config.yamlで「購読するPDSリスト」「連携する他ユニットB」を指定メモリ2GB、ストレージ20GB、月間転送量100GB以内での運用実証
ドキュメント:「Bluesky Unit B 運営ガイド」(Mastodon adminガイドを参考)
期間:3〜6ヶ月
フェーズ2:ユニットB間連携プロトコルの策定
目標:異なるユニットB同士が相互接続し、「小さな世界の集合体」を形成
技術仕様:
サーバー間相互フォロー:ユニットB同士が「お互いのローカルタイムラインを部分共有」
Gossipプロトコル:「うちのユニットBにはこんなトピックの投稿が多い」という統計情報を交換し、効率的なルーティングを実現
Trust/Reputation システム:スパムやハラスメント対策のための分散型評価機構
期間:6〜12ヶ月
フェーズ3:マネージドサービスとしてのユニットB
目標:非技術者でも参加できる「ホスティングサービス」の立ち上げ
ビジネスモデル:
「Bluesky Hosting Co-op」のような協同組合型サービス
料金例:「月300円でPDS + ローカルタイムライン + カスタムドメイン」
オープンソースコードベース(ベンダーロックインの回避)
社会的組織化:
技術者コミュニティによる「ユニットB運営ガイド」の整備
法的・財務的な運営ノウハウの共有(協同組合法、非営利法人化など)
国際的なユニットB連合の形成
期間:12〜24ヶ月
おわりに:「分散化ごっこ」を超えて
現状のBluesky Socialは、「分散型」という看板を掲げながら、実際には集中型プラットフォーム + 名目的DIDという、Twitter/Xと本質的に変わらない構造を構築しつつある。独自ドメインの課金は、その欺瞞を覆い隠すための「分散化ごっこ」の対価に過ぎない。
しかし、これはATP自体の設計思想が根本的に誤っているわけではない。むしろ、ユニットBという中間レイヤーが実装されていないという、エコシステム構築の失敗が問題なのである。
WordPressが「共有ホスティング」という中間選択肢によって爆発的に普及したように、Blueskyも「個人がレンタルサーバーにWordPressを構築するレベル」のミニマルユニットと、それらが接続し合うエコシステムを実現できれば、真の分散型ソーシャルメディアへの道が開ける。
それは技術的には可能である。問題は、経済的持続可能性と社会的組織化である。協同組合型の運営モデル、公共インフラとしての位置づけ、そして何よりも「真の自律性」を求めるユーザーコミュニティの形成──これらが揃ったとき、Blueskyの「約束」は初めて現実のものとなるだろう。
「所有権」と「利用権」を混同させる欺瞞を看破し、真の自律性を実装すること。それこそが、次世代ソーシャルメディアへの挑戦である。