2017年にMastodonが流行したとき、「世界が変わる」という予感のなかでインスタンスを見つけてはユニークIDを確保しようとした。今にして思えば徒労だったが、あれこそが既存のメンタル・モデルで新しいものを見てしまう典型例だった。Twitter的な「早い者勝ちでハンドルを取る」発想から抜け出せていなかったのだ。
Mastodonの「連合」の限界
Mastodonの「連合」は、結局サーバー管理者に依存する分散であって、ユーザー主権の分散ではなかった。サーバーが閉じればアイデンティティもフォロワーも消える。引っ越し機能はあっても「移住」であって「ポータビリティ」ではない。
AT Protocolは何が違うのか
AT Protocolが根本的に違うのは、データの置き場所(PDS)とアイデンティティ(DID)が別レイヤーになっていること。だからPDSを移しても同一人物のままでいられる。2017年時点では「サーバーが複数あること=分散」だった。「プロトコルレベルでの分散」という概念はまだ言語化されていなかったのだから、あの徒労は仕方なかったのかもしれない。
技術的可能性と現実の乖離
ただ現実的な疑問もある。Bluesky Socialがホスティングする現状のPDSから、実際に抜け出す段階は来るのだろうか?
技術的可能性と実際の移行は別物だ。大多数のユーザーにとって自前PDSに移る動機はほぼないし、運用には技術的知識とコストがかかる。移行が起きうるとすれば、Bluesky Socialの方針転換でユーザーが不満を持つか、企業や大学がPDSを提供するか、ホスティングが「ドメインを取るついでにPDS」くらい手軽になるか、といったシナリオだろう。
結局、AT Protocolの価値は「全員が移行すること」ではなく「移行できるという選択肢の存在」が権力集中を抑止する点にあるのかもしれない。核抑止力のように、使われないからこそ機能するという逆説だ。
「出ていける」というアイデンティティ
公式の言及を見ると、「いつでも出ていける」という可能性自体をプラットフォームのアイデンティティにしているフシがある。実際の移行が起きなくても「我々は檻を作らない」という姿勢がユーザーの信頼と好感を獲得する。X/Twitterへの不信感が高まる中で、その対比として巧みに機能している。
ただ、ここには危うさもある。「出ていける」というアイデンティティは、実際に出ていく人がほとんどいない状況で成り立っている。もし大規模な移行が現実になったら、それはBluesky Socialにとって理念的成功であると同時に事業的危機でもある。プロトコルとしてのAT Protocolの成功と、企業としてのBluesky Socialの成功は、完全には一致しない。今はその緊張関係が顕在化していないだけだ。
ユーザーにとっての最適解
ユーザーとしては、Bluesky Socialの居心地が良くあり続けることを期待するのが合理的だろう。移行コストは高く、移行先PDSの安定性も保証されない。「出ていける保険」を持ちつつ現状を享受するのが現実的な最適解だ。
一方、エコシステム全体としては、別PDSの存在が健全性の指標になる。EuroskyやBlackskyのような動きは、特定コミュニティのニーズ—データ主権、モデレーション方針、文化的自律性—から生まれている。
日本でこうした動きがほぼ起きていないのは、Mastodonの「サーバー乱立→疲弊」の記憶が新しいこと、技術コミュニティがBluesky Social内で十分居心地よく過ごせていること、「日本独自のPDSが必要」という切実な動機がまだないこと、などが理由として考えられる。
理想と現実の道筋
理想を言えば、Bluesky Socialに企業や大学の公式アカウントができるのではなく、各機関が独自PDSを建てて関係者がそこでアカウントを取る形だろう。AT Protocolの設計思想に最も忠実なビジョンだ。@tanaka.example.ac.jp のようなハンドルが所属証明とアイデンティティを兼ねる。大学のメールアドレスがそうであるように。
ただ、これは極大主義的すぎるかもしれない。現実にはPDSの運用負担を組織が引き受ける動機がなく、「公式マーク」で十分という判断になりがちだ。
段階的には、まずドメインハンドルの普及(PDSなしでも可能)、次に組織がそれを公式所属証明として運用、その延長で「データも自前で持ちたい」という需要が生まれる、という道筋があり得る。理想から逆算するより、実例を積み上げる方が日本では機能しそうだ。