発端

2026年1月、わたしはBlueskyに一つの寓話を投稿した。

都市に潜む「排除アート」に違和感を抱くある作家は、夜な夜な街へ繰り出し、3Dプリンタで出力した「非排除パーツ」を設置するゲリラ活動を行っている。

https://bsky.app/profile/did:plc:aajyn6qzw67cnmwf7zxzbjdy/post/3mdpcnofimc24

画像はWikipediaの排除アート写真をGeminiで加工したものだ。右下には生成AIの透かしがある。

意図はマジックリアリスムによる寓話だった。「公共空間から人を排除するデザイン」への問いかけを、架空の作家の物語として描いた。

拡散

投稿は90リポスト、196いいねを記録した(RP<Like)。

問題は、その多くが「実話」として拡散されたことだ。画像をクリックすれば透かしが見える。だが確認する手間を省いて拡散する人が多かった。

あと添えリポストで特徴的だったのは、ある人物の反応だ。「これが本当なら最高」「本当であってほしい」——排除アートへの問題意識から願望を示しつつ、同時に「AI生成はよくない、現実がわからなくなる」とも記していた。真偽が確定する前から、AIの存在が現実認識を揺るがすことへの不安を表明している。

興味深いのは、彼自身が「確認を省略した」と認めている点だ。問題意識があったからこそ、真偽確認より共感が先行した。

続編の非対称性

わたしはセルフリプで続編を投稿した。行政が「偶然」同じベンチを改修するという、明らかに出来すぎた展開だ。これが創作であると気づかせる意図だった。

結果は20リポスト、45いいね。元投稿の四分の一以下だ。

つまり、元投稿をリポストした人の大半は続編を見ていないか、見ても拡散していない。「共感できる物語」は広がるが、「それが創作であると示す文脈」は広がりにくい。

観察から得たもの

三つある。

一つ、情報の真偽より共感が先行する。

透かしを確認する一手間を省いて拡散する。「本当かどうか」より「共感できるか」が判断基準になっている。

二つ、投稿は自己表明のトークンになる。

内容そのものより、それを引用して何を言うかが優先される。発信者の意図は、受け手の文脈に上書きされる。

三つ、訂正は誤解に追いつかない。

90対20という数字がそれを示している。一度広まった認識を修正する情報は、同じ速度では広がらない。

Network Perceptionとして

これはNetwork Perception研究の実例だ。

Network Perceptionとは、SNSにおいて人々が情報環境をどう認識し、どう行動するかを観察する研究だ。関心の中心は、情報がどう拡散し変質するか、人々が投稿をどう「使う」か、プラットフォームの設計が知覚にどう影響するか、の三点にある。

今回の観察は二つ目に該当する。投稿は発信者の意図を離れ、受け手の自己表現の道具になる。

注釈を加えると、現状のBluesky Socialは中央集権型の域を出ていない。だが分散が進めば、NPの分析はさらに複雑になる。どのPDSにいるか、どのAppViewを使っているか——それによって「見えている世界」が変わる。ATP上でNPを分析する醍醐味はそこにある。

結語

寓話は寓話として機能した。「排除アート」という問題を可視化し、議論を生んだ。

同時に、寓話は寓話として消費されなかった。実話として広まり、自己表明の道具として使われ、発信者の意図から離れていった。

それもまた、ネットワーク上の情報の宿命なのかもしれない。


補足:寓話の文体

あらためて元の投稿を読み返すと、これは明らかに寓話の文体だ。

「ある作家」「彼」——固有名詞がない。場所も時期も特定されていない。ジャーナリズムの記事なら必ずある情報が一切ない。

だが写真が一枚あれば、人は「証拠」として受け取る。テキストの構造より視覚情報が優先される。共感と拡散欲が、文体を読む手間を省かせた。