変声期に自分の声が変わっていくのが不思議だった。ちょうどその頃、母が『ノックは無用』に出演していた米良美一を教えてくれた。もののけ姫で有名になる前のことだ。男の声でありながら女の声域を歌う。カウンターテナーという存在を、そのとき初めて知った。

インターネットが使えるようになって、すぐに行動した。Adobe GoLiveを買い、ジオシティーズに「JapanCountertenorOnline」という解説サイトを開設した。海外の古楽サイトやソプラニストのサイトを貪るように読み、知識を詰め込んでいった。やがてヤフーカテゴリに登録され、オンライン版の日本大百科全書にも掲載された。

高校に入ると、英語の先生や友人の西本君が大の古楽好きだった。いろいろと教えてもらった。神戸松蔭でバッハ・コレギウム・ジャパンの演奏会を聴きに行った。当時の三宮にはタワレコだけでなくヴァージンレコードやHMVがあり、古楽を扱うCDショップがいくつもあった。タワレコの素晴らしいところは、クラシック棚のソプラノ、テノール、アルト、バリトンの横にカウンターテナーのラベルが設けられているところだ。あの棚の前に立つと自分の好きなものが世界に認められている気がした。

一番通ったのはオーガスタ・プラザにあった新星堂だ。ここに油断ならない中年男性の店長が鎮座していた。「ソプラニストならこいつがすごい。自分はアルバムもってるけど、ここにはない」などと自慢してくる。ヘンデルの『セルセ』がリリースされたとき、手持ちがまったく足りなかった。「取り置きできますか」と懇願したら、「置いとくわ、すぐに来てや」と言われた。

一番好きだったカウンターテナーはブライアン・アサワだ。日系アメリカ人で、メゾソプラノのような美しい声をしていた。情熱大陸にも出演した。フィリップスからリリースされたブリテンの『真夏の夜の夢』にオーベロン役で出演していることを知ったのはレコ芸の情報だった。インターネットもamazonもない時代だ。東京にディスクユニオンという大きなCDショップがあることを調べ、03に電話をかけた。若い男性の東京弁で「ちょっとまってくださいね、さがしてきます」と言われ、しばらく待つと「あ、ありました」と返ってきた。CDの金額分の小為替か切手を郵送するという方法で購入した。

アサワの二度目の来日のとき、いずみホールでのリサイタルに行く予定だった。ところが本人が来日直前に風邪をひき、東京公演と大阪公演が中止になった。わたしは大阪公演を見るために三宮にいた。父親から電話がかかってきて、中止を知った。仕方がないのでルミナリエを見て帰った。数日後の名古屋公演は実施されたそうだが、その後彼が日本に来ることはなかった。

生で演奏を聴くことができたカウンターテナーは、フランスのドミニク・ヴィスだ。武満徹の歌曲を歌ったアルバムのリリース記念で来日した。大阪のザ・フェニックスホール。ホールに上がるエレベーターの中で、たまたま美術家の森村泰昌と二人きりになった。緊張した。