1

2026年4月13日、大崎のファインディ本社で開かれたBluesky Meetup in Tokyo Vol.4に参加した。Blueskyの日本語圏オフラインイベントとして初開催から3年。約100人が集まった。

わたしは登壇者ではない。当日は受付まわりを少し手伝いつつ、セッションを聴き、懇親会で何人かと話した。椅子は硬かった。

2

テキスト空間で「知っている」人間と、身体を持って目の前に立つ人間は、同じ人間なのに別の周波数を発している。

タイムラインではアイコンとテキストだけで人格が構成される。対面では声の高さ、視線の動き、立ち姿、服の質感が一気に流れ込む。認知の帯域が違う。テキストでは情報の密度と速度が支配的だ。対面では身体の存在感と空間の共有が支配的になる。

ネームカードだけが二つの世界を接続する。アイコンとハンドルネーム。それを見て「あ、あの人か」と紐づける瞬間がある。紐づかなければ、目の前の人間はただの知らない人だ。

技術者同士はプロダクト名とハンドルネームだけで会話が成立していた。「○○を作っている方ですよね」——この一言が認証装置として機能する。だがそれ以外の参加者——イラストレーター、ライター、ただBlueskyが好きな人——にとって、対面で何を話せばいいかの文脈は自明ではない。

身体は触媒にもなるしブレーキにもなる。セレンディピティは身体がその場にあるから起きる。ある参加者が、面識のないユーザーと楽しそうに話していた。テキスト空間では発生しなかった接続だ。一方、身体はテキスト空間での饒舌さを裏切る。タイムラインでは鋭い投稿をする人間が、対面では言葉少なだったりする。逆もある。

3

津田正太郎氏(慶應義塾大学メディア・コミュニケーション研究所教授)のライトニングトークが、この日のハイライトだった。

タイトルは「ネットでのいざこざに疲れました… Blueskyへの期待と展望」。ネットが揉める理由を「失礼な奴が多すぎる」と一言で切り、会場が笑いに包まれた。だが内容は笑ってばかりいられない。

共有の文脈の不在。誕生日パーティーの横でお通夜が開かれている状態。カテゴリーの濫用による敵意の増幅。そして「しない方がいいコミュニケーション」の存在。

わたしが考えているNetwork Perceptionという枠組みと接続する論点がいくつもあった。Network Perceptionは、ネットワークの客観的な構造(実際に誰と誰がつながっているか)と、ユーザーが主観的に感じるネットワークの姿(自分の周りがどれだけ賑わっているか、あるいは殺伐としているか)のずれを扱う。

SNS上での「コミュニケーション過剰」は、このずれとして記述できる。実際のつながりの数はそれほど多くなくても、タイムラインに流れ込む情報の量と摩擦が、体感としての密度を押し上げる。対面では物理的な距離と時間が体感密度の上限を制約する。目の前にいる人としか話せない。一晩で会える人数には限りがある。テキスト空間にはその制約がない。だから過剰になる。

津田氏がもう一つ提起したのが、Blueskyユーザーの呼称問題だ。Twitterには「ツイッタラー」があった。Blueskyにはまだない。「スカイヤー」「スカイウォーカー」は英語圏で提案されたが定着していない。

4

呼称は共同体の自己認識を映す鏡だ。

わたしには一つ経験がある。はてな匿名ダイアリーの利用者を「増田」と呼ぶ試みに対し、文化として定着した。「アノニマスダイアリー」の略称が、匿名で本音を書くという行為にある種の矜持を付与した。一方、mixiユーザーを「ミク民」と呼ぼうとした試みは失敗した。ピクミンを想起させる軽薄さが、利用者の自己イメージと合わなかった。

呼称が定着するには、それを名乗ることでユーザーに一定の矜持を持たせるエトスが必要だ。単なる利用者ラベルでは足りない。「増田」には匿名の本音という行為の質が込められていた。Blueskyの呼称を作るなら、「Blueskyを使う」という行為そのものにエトスを乗せる必要がある。

それが何かは、まだわからない。

5

ミートアップは、ある人にとっては定期的な、またある人にとっては一度きりの「答え合わせ」だ。

テキストの向こう側にいた人間に身体があることを確認する。3年間アイコン越しに見てきた人格が、声と表情を持って目の前に立つ。安堵でもあり、ときに軽い失望でもある。

だが最も重要な答え合わせは、コミュニティが実在するかどうかだ。タイムライン上の「コミュニティ」は抽象概念にすぎない。100人が一つの部屋に集まり、同じ空気を吸い、同じピザを食べ、ちぃたん☆と写真を撮っている。その風景は、テキスト空間では生成されない。

われわれがテキストという空間を出ない限り、プロジェクトは「存在する」と言い切れない。ウェブのテキスト情報だけで回っているバイブスと、身体と肉声が交差する場で発生するバイブスは、周波数が違う。どちらが優れているという話ではない。両方要る。

運営スタッフのみなさん、登壇者の皆さん、参加者の皆さんに感謝する。次はハッカソンだ。