Blueskyでは書ける。ひとつ投稿して、それに自分でぶら下げて、気がつくと10本続いている。合計すれば2,000字を超えていることもある。
同じ人間が、ブログの新規投稿画面を開くと1行も進まない。書く気がないのではない。書く材料もある。それでも手が止まる。
タイトルのせいではない
よく言われる説明は「タイトルを付けなくていいからだ」というものだ。Twitterのような短文投稿サービスには題名の欄がない。ブログにはある。だから書けるのだ、と。
この説明は弱い。タイトルは最後に付ければいい。本文を書いてから、書いたものに名前をつければ済む。それでも手が止まるなら、止めているのは入力欄ではない。
とはいえ、この説明が何かを言い当てている感じは残る。何を言い当てているのか。
止めているのは完結性の要求だ
タイトルを付けるということは、その1本で何を言うかを先に決めるということだ。空欄を前にすると手が止まる。まだ何を言うか分かっていないのに、「何を言うか」を先に宣言させられるからだ。
だからタイトルは原因ではなく表れの一つだ。原因は完結性の要求のほうにある。ブログ記事には1本で閉じる前提がある。短文投稿にはない。次で続けられるからだ。
では、完結性を要求しているのは何か。完結を誰が決めるかだ。
短文投稿サービスでは形式が決める。5文字でも300字でも、投稿すればそれで1つになる。書き手は判断していない。中身が少なくても、投稿という単位は成立する。
ブログでは書き手が決める。どこで閉じるかを自分で判断することになり、判断するには、何を言うかが先に決まっていないといけない。長さに上限があれば、この判断は要らない。
だから上限は自由を奪っていない。閉じる場所を考えなくて済む。そのうえで中身も決める。300字に収まる思いつきが投稿になり、収まらないものは次へ回る。次へ回した分が、そのまま次の返しになる。
続いているのは、返しているからだ
では、なぜセルフリプは10本も続くのか。
読者がいるからだと言われる。だが疑わしい。5本目や8本目で反応が落ちることは、書いている本人がいちばんよく知っている。それでも続くなら、続いている理由は反応ではない。
続いている理由は、1つ書いたら次を「返す」形になることだ。連ねているのではない。前の投稿への応答だ。そして応答は一人でもできる。返す相手が自分でも成立するからだ。
条件は三つある。
- 1.
1投稿ぶんの上限があること。
- 2.
直前のひとつだけが見えていること。
- 3.
順序が固定されていて、並べ替えができないこと。
この三つが働くのは、材料を出すあいだだけだ。並べ替えは次の段階でやる。レポートでも申請書でも、推敲では順番を入れ替える。三つの条件は、書き上げるまでずっと守るものではない。
アウトラインエディタが向かないのは、三つ目を許すからだ。並べ替えられると、人は構成を考えはじめる。構成を考えはじめると、また完結性の話に戻ってしまうだろう。
音声入力も向かない。理由は速さではない。流れっぱなしになると、返しの境界が消える。上限も、直前の1つだけが見えている状態も、同時に失われる。速さの問題なら、タイピングが速い人は最初から困っていないはずだ。
返しとは何か
ここまで「返し」と呼んできたものを、もう少し細かく見る。
前にあるものを読み、それに対して自分が何か言う。これが文章を書くことの最小単位だ。返しは二つのことで決まる。どこへ返すかと、どう返すかである。
どこへ返すかは、既定では直前の文だ。前の文を読んで、それに返す。段落の一文目なら、前の段落の最後の文に返していることが多い。
遠くへ返すこともできる。段落の三文目が、二文目ではなくその段落の主張に返す場合だ。このとき、どれに返しているかを書かないといけない。直前に返すなら読み手は迷わない。直前しかないからだ。だが二つ前や三つ前に返すと、どれのことか分からなくなる。だから「この条件は」「その判断は」と、返す相手を名指して始める。
段落の一文目に主張を置く書き方(パラグラフライティング)には、この点で利点がある。遠くへ返す相手が、いつも一文目にある。どれに返すかを探さずに済む。
どう返すかは、書き手が選ぶ。選べるのは三つだけだ。
進める:それで、どうなる。だから/したがって/そこで
肉付けする:ほかにもある。たとえば/また/さらに
向きを変える:本当か。別の場合は。ただし/一方/だが
この三つは、どの大きさでも同じだ。段落の中でも、段落から段落へでも、節から節へでも変わらない。だから覚えるのは三つでいい。
どれも言いたくないなら、その二つは繋がっていない。書いたあとで「関係が分からない」と気づくより、書く前に気づくほうが直しやすい。
読み手と書き手では、見えているものが違う
文章読本の類は、たいてい仕上がった文章を上から眺めて書かれている。「この段落とこの段落は対比の関係にある」という説明がそれだ。
しかし書いている本人はその位置に立てない。目の前にあるのは、いま書き終えた直前の1つだけだ。
読み手に見えるもの ○ → ○ → ○ → ○
書き手がしていること ○ ← ○ ← ○ ← ○前へ前へ進む形に見えるものは、書いている側から見れば、ひとつ前へ返しつづけた結果だ。だから関係に名前をつける説明は、点検には使えても、次の一段落を出す助けにはならない。読み手の道具であって、書き手の道具ではないからだ。
型と返し
文章を書くことは建物を建てることに似ている、という言い方がある。設計図があり、骨組みがあり、そこに肉付けをしていく。
この比喩は半分正しい。どこに何を置くかは、書きはじめる前に決められる。だが設計図は、壁をどう仕上げるかまでは教えない。
二つは競合しない。答えている問いが違うだけだ。
型(建築):どこに何を置くか
返し:次に何を書くか
型だけでは肉付けができない。返しだけでは脱線する。
人工知能の歴史にも同じ形がある。世界の側を先に表現してしまうと、何が変わらないかまで全部書く必要が出て、関係のないものを除外する作業が無限に膨らむ。フレーム問題と呼ばれてきたものだ。大づかみで言うと、いまの言語モデルは世界の一覧を持たない。直前の文脈に対して次を出すだけだ。一覧がないので、選び出す作業も起きない。解決したのではなく、避けただけだろう。長い射程で筋道を通すことは、今も弱い。
型を持つ代価がフレーム問題で、型を持たない代価が脱線だ。文章でも同じことが起きている。
だから、どう書くか
返しで材料を出し、型で並べ直す。同時にやろうとするから手が止まる。
- 1.
一本で書く。節に切らない。思いついた順のまま。
- 2.
書かれている主張を列挙する。補わない。まとめない。順番も変えない。
- 3.
一覧を読んで、書いたつもりで書いていない主張を見つける。
- 4.
穴を埋める ⇄ 並べ替えて分類する。この二つは往復する。
- 5.
段落に組む。一文目は主張一覧の文をそのまま使う。
4は行き来する。並べ替えると足りない主張が見え、埋めると並びが変わる。どちらが先ということはない。
気をつけるのは埋め方だけだ。空いた場所に収まるという理由で書かない。そう書くと、自分が本当にそう考えているかを確かめないまま主張が増える。接続や例を足すだけなら構わない。
まとめの文は主張ではない。読み手が「なぜそう言える」と問えないからだ。問えない以上、続く文は支えにならない。中身を並べているだけの段落ができあがる。
残っている問い
ここまでは、ひとつの経験から出た推測にすぎない。確かめていないことが三つある。
- 1.
単位ごとの上限がない場所でも、書けるのか。短文投稿サービスには1投稿ぶんの上限があり、全体の長さには上限がない。だから閉じずに続けられる。1本の長さに区切りがない場所で同じだけ書けるなら、上限の説明は外れる。
- 2.
誰にも届かない条件で、書き続けられるのか。同じ道具のまま鍵をかけ、誰にも見せずに書く。書き続けられるなら読者は関係ない。手が止まるなら関係ある。
- 3.
三つの方向は、随筆でも同じ三つなのか。進める・肉付けする・向きを変えるという区別は、論証のある文章を材料に取り出したものだ。