2025年1月、Bluesky英語圏で「Google Balls」なる謎のアカウントがバイラル化した。Googleロゴの4色の丸が弾むだけのジョークサイト。それだけだ。しかし数時間で1,000フォロワーを超え、ファンアート、VRChatワールド、ゲームMODが爆発的に生成された。
なぜこんな単純なものが人を動かすのか。古典修辞学の三要素——エトス(信頼)、パトス(感情)、ロゴス(論理)——から、この現象を解剖してみよう。
エトス:権威なき権威
通常、エトスは話者の信頼性や権威を指す。政治家の経歴、専門家の学位、企業のブランド。Google Ballsは一見それを持たないように見えるが、実際には「Google」という世界最大級のテック企業の名を借用している。ただし、その借用の仕方が独特だ。Googleの権威を正当に継承するのではなく、パロディとして脱臼させている。「Balls」という下品な語との結合が、権威の真面目さを無効化する。これは権威の不在ではなく、権威の茶化しだ。
「holy shit」というプロフィール。「i follow back if you follow me」という宣言。これは従来の意味での信頼性ではなく、「ここには何も隠されていない」という透明性の表明だ。Blueskyというプラットフォームが、アルゴリズムによる不透明な増幅を嫌うユーザーで構成されていることを考えれば、この「何もなさ」は逆説的に強力な信頼の基盤となる。
さらに、フォロバ100%という約束は一種の社会契約だ。「わたしはあなたを認める。だからあなたもわたしを認めてくれ」。これは対等な関係性の宣言であり、インフルエンサー型の一方的な権威とは正反対の構造を持つ。
パトス:参加の快楽
Google Ballsが喚起する感情は、「感動」でも「怒り」でもない。それは「参加したい」という衝動だ。
4色の丸という極めて単純なビジュアルは、誰でも二次創作できる。絵が描ける人はファンアートを、3Dモデラーはblenderで、開発者はVRChatワールドやゲームMODを作る。参加の敷居が限りなく低い。
そして重要なのは、Google Ballsアカウント自身がそれらをリポストし続けることだ。作品を投稿すれば、「本家」に認められる。この承認ループが、さらなる創作を誘発する。パトスは一方的に与えられる感情ではなく、参加と承認の循環の中で生成されている。
ロゴス:無意味の論理
ロゴスは通常、論理的な説得を指す。しかしGoogle Ballsには主張がない。「なぜGoogle Ballsか」という問いに対する答えは存在しない。
だが、この無意味さこそが一種の論理として機能している。「Bluesky? Catsky? Deer Social? Are you still using that old stuff?」というポストに見られるように、Google Ballsはプラットフォーム自体をメタ的にネタ化する。「なぜBlueskyを使うのか」「SNSとは何か」という問いを、笑いながら無効化する。
business gooseの投稿はこれを端的に表現している。
According to all known laws of aviation, there is no way a Google should be able to ball. Its balls are too small to get its fat little Google off the ground. The Google, of course, balls anyway because balls don't care what humans think is impossible.(既知のあらゆる航空力学の法則によれば、Googleがball(成功したり、バスケをしたりすること)ができるはずはない。Googleのボールは、その太った小さな体を地面から浮かび上がらせるにはあまりにも小さすぎる。しかし、Googleは当然のごとくballする。なぜなら、ボールは人間が不可能だと思っていることなど気にしないからだ。)
https://bsky.app/profile/goose.art/post/3mbphbqeazk2x
これは映画『Bee Movie』冒頭のパロディだが、同時に「理由なき拡散」そのものへの自己言及でもある。論理を必要としないこと、それ自体がロゴスなのだ。
結論:説得から招待へ
古典修辞学は「聴衆を説得する技術」として発展した。しかしGoogle Ballsは誰も説得していない。何かを信じさせようとも、行動を変えさせようともしていない。
ここで起きているのは、「説得」ではなく「招待」だ。
エトスは「信頼せよ」ではなく「一緒に遊ぼう」。パトスは「感じろ」ではなく「作ってみろ」。ロゴスは「理解せよ」ではなく「考えるな、弾め」。
分散型SNSにおいて、中央のアルゴリズムなしにコンテンツが広がるとき、その駆動力は「説得力」ではなく「参加可能性」なのかもしれない。Google Ballsは、修辞学の新しい形態——参加の修辞学——の萌芽を示している。
あるいは単に、丸が弾むのを見るのが楽しいだけかもしれないが。