ソーシャルメディアは絶え間ない精神的会話の場だ。ユーザーは断続的な思いつきを投稿し、自己の存在を確認する。フィードは流れ続ける。この環境下で、何を書くかは、どう書くかに規定される。
成瀬文体とは何か
『成瀬』シリーズの主人公、成瀬あかりの口調に着想を得て、ある文体実験を行った。以下の制約を設けた:
文末は「〜だ」「〜だな」「〜からな」の断定調
「〜と思う」「〜かもしれない」は使わない
一言で済むなら一言で終わる
冗長な修飾は削る
シンプルな制約だ。だが、この制約が出力を根本から変えた。
何が起きたか
断定調で書こうとすると、曖昧な感想では着地できない。「今日は疲れた」では断定の重みに耐えられない。自然と、断定に値する内容を探すようになる。
結果として:
体験の共有 → 体験から抽出した知見の共有
「カフェに行った」 → 「このカフェは電源席が8つある」
「嬉しかった」 → 「承認と達成は別の回路で処理される」
文体が、エゴフォリックな出力を知識的出力へ導いた。
なぜこうなるのか
断定調には自己検証機能がある。「〜だ」と書く瞬間、「本当にそう言い切れるか?」という問いが生じる。言い切れないなら、言い切れる形に再構成するか、削る。
簡潔さの制約も効く。削ぎ落とす過程で、核だけが残る。核がなければ、そもそも投稿する意味がない。つまり、この文体は「投稿すべきか否か」のフィルタとしても機能する。
英語への展開
この原則は英語でも機能する。むしろ英語のほうが相性がいい。
きっかけは2024年、ある海外の知人が来日したときのメッセージングだった。トークイベントの準備について、こちらは「会場にはスクリーンにスライドを映し出す設備を整えました。ケーブルも用意しています。パソコンを持参してもらえるとありがたいです」という内容を、さらに冗長な英文にして送った。
返信は一語だった。
"macbook"
衝撃だった。彼は「持っていくものは何か」という核だけ抽出し、それだけを返した。設備の説明への反応も、感謝も、確認も要らない。一語で全部伝わる。
これが英語メッセージングの到達点だと悟った。
日本語から英語への翻訳で文字数が膨らむ原因は、丁寧さの残滓と構文の直訳だ。これを断定調で圧縮する:
"I think that..." → 削除
"It seems to me that..." → 削除
"I would say that..." → 削除
残るのは動詞と名詞だけだ。
例:
SNSの文字数制約下では、この圧縮が実用的な意味を持つ。
観測された効果
この文体で発信を続けたところ、いくつかの変化が起きた:
内容ではなく存在として消費されるようになった(「test」の一語でリポストされる)
これまでフォロー返しのなかった公式アカウントがフォロー返しするようになった
自分自身の投稿基準が上がった
2番目は特に示唆的だ。公式アカウントのフォロー返しは「この人の発信は追う価値がある」という判断を意味する。知識的出力へのシフトが、発信者としてのポジションを変えた。
結論
文体は思考を導く。これはサピア=ウォーフ仮説の弱い版が、個人の出力レベルで作動した事例だ。
断定調を採用すると、断定に耐える内容を探すようになる。簡潔さを採用すると、核だけを残すようになる。制約が、出力の質を方向づける。
どう書くかを変えれば、何を書くかが変わる。何を書くかが変われば、誰として認識されるかが変わる。
文体の選択は、認知の選択だ。