はじまり
Blueskyのカスタムフィード作成に造詣が深いはまかぜの旅団氏から私信で、ある知見を得た。
フィードは投稿者の同意なく収集する構造だ。作成者側が「ノイズ」「不適切」といった価値判断を含む表現で投稿を選別するのは問題がある。投稿者にとっては意味のある発信を、収集側が切り捨てる形になるからだ。政治フィードでは特にこのリスクが高い。案内文やルールを設ける場合も、「コミュニティの規範」ではなく「収集ポリシーの説明」というスタンスに留めるのが健全ではないか。
この指摘から、カスタムフィードとは何かについて考えたい。
フィードはコミュニティではない
Blueskyに慣れていないユーザーはフィードを「参加するもの」と捉えているらしい。おそらくXにおけるTogetterや既存のオンラインコミュニティのフレームで見ている。だが構造が違う。
Togetterは引用される側にも可視性がある。コミュニティには参加意思がある。ハッシュタグは投稿者自身が分類に加わる。カスタムフィードにはそのいずれもない。投稿者は自分がフィードに載っているか知らない。購読者も「仲間と集う場」に入ったわけではない。
フィード作成者は「場の管理者」ではなく「検索条件の設計者」だ。「良い投稿を選ぶ」のではなく「こういう条件で拾う」という説明責任がある。収集された投稿者に対して、作成者は何の権限も持っていない。
購読者もまた、これが「フィルタリングされた検索結果」だと理解する必要がある。フィードに載っている人々は相互に認知していない。同じフィードを見ている者同士も、互いを見ていない。
では、フィードは何になりうるのか
コモンズだ。
公園のベンチで本を読んでいる人々は、互いに話しかけないし名前も知らない。だが「同じ公園にいる」という感覚は共有している。これはコミュニティではないが、コモンズだ。
カスタムフィードが提供しているのは、この公園的な体験ではないだろうか。同じ話題について投稿している人々を眺めることで、「自分もそこにいる」という感覚を得られる。相互認知も参加意思も不要だ。
ただし、公園と違ってフィードには「設計者」がいる。どの投稿を拾うかは設計者が決めている。公園の管理人が「この人は座っていい、この人はだめ」と選別していたら、それはもうコモンズではない。
フィードがコモンズとして機能するかどうかは、設計者がどこまで価値判断を控えるかにかかっている。
Live Event Feedの可能性
Bluesky公式が2026年の予測として発表したLive Event Feedは、当初わたしには懐疑的に映った。「a moment can become more than the sum of all the people witnessing it」——共同体験を売っている。だが目撃者たちは互いを見ていない。構造的事実を曖昧にしたまま、コミュニティ的体験を演出しようとしているのではないか、と。
だが考え直した。Live Event Feedは理想的な条件を備えている。
ライブイベントという時間的制約が収集条件になる。「今この瞬間に投稿されたか」という機械的基準だけで拾える。設計者の価値判断が入り込む余地が小さい。
目撃者たちは互いを見ていない。だがコモンズとしてなら、その体験は確かに成立する。Live Event Feedは、フィードがコモンズになりうることの最良の実証になるかもしれない。
Misskeyチャンネルとの比較
たけうち氏から指摘があった。「Misskeyのチャンネル機能はよくできている」と。
調べてみると、その通りだった。Misskeyのチャンネルは「参加意思の明示」で設計されている。投稿者が「このチャンネル宛」と明示して投稿する。自分がどこに投稿したか知っている。
Blueskyカスタムフィードは逆だ。投稿者は通常通り投稿し、収集は設計者が行う。投稿者は自分がフィードに載っているか知らない。
わたしがコモンズ・アカウントを作ったのは、Misskeyチャンネルと同じ思想だ。メンションという能動的行為で参加意思を明示し、機械的にリポストするだけで価値判断を挟まない。フィードとコミュニティの機能を分離する設計だ。
2023年にBluesky COOのRoseにこれを標準機能として提案したとき、「カスタムフィードじゃだめなの?」ときょとんとされた。この区別が当時のBluesky内部で論点化されていなかったのだろう。
コモンズ"的"フィードという解
「ハッシュタグでいい」という考えもある。投稿者が自ら分類に参加する点では正しい。だがBlueskyではハッシュタグをタイムラインとして購読する仕組みが弱く、「場」としての可視性がない。
ここで注目したいのが、最近流行している「page42」や「ばけばけフィード」のようなフィードだ。フィードにはわたしはしていないが「マグカップ見せて」タグもこのポテンシャルを持っている。参加者が特定のハッシュタグや形式で能動的に投稿する。投稿者は自分が参加していることを知っている。設計者は「そのタグを拾う」という機械的条件のみで、価値判断による選別がない。
これをコモンズ"的"フィードと呼びたい。Blueskyのカスタムフィードでも「参加意思の明示」を収集条件にすれば、コモンズとして機能する。
分類表
フィードとコミュニティの違いを、参加意思、相互認知、設計者の価値判断という3つの軸で整理する。
コミュニティ: メンバーシップがある。参加意思を持って入る。管理者が規範を設定し、誰が入れるか決める。囲い込みの構造だ。
コモンズ・アカウント: メンションという能動的行為で参加意思を明示する。相互認知はないが、同じ場にいるという感覚を共有できる。設計者は機械的にリポストするだけで価値判断を挟まない。公園のベンチで本を読んでいる人々のようなものだ。
コモンズ"的"フィード: 特定のハッシュタグや形式で投稿することで参加意思を明示する。「page42」や「マグカップ見せて」がこれにあたる。設計者は「そのタグを拾う」という機械的条件のみで、価値判断による選別がない。
ハッシュタグ: 投稿者が自ら分類に参加する。だがBlueskyではタイムラインとして購読する仕組みが弱く、「場」としての可視性がない。広場にいるが、広場の輪郭が見えない状態だ。
カスタムフィード(検索型): 投稿者は通常通り投稿し、設計者が設定した条件で収集される。投稿者は自分がフィードに載っているか知らない。だが設計者の価値判断も入らない。街の風景を切り取った写真のようなものだ。観察窓を通して眺める体験を提供する。
カスタムフィード(キュレーション型): 設計者が「良い投稿」を選別する。展覧会のキュレーターに近い。投稿者の参加意思はなく、何が選ばれるかは設計者の判断に依存する。
アルゴリズミックおすすめ: 閲覧者ごとに異なる投稿が表示される。機械学習が「あなたのため」に最適化する。投稿者の意図した文脈は剥奪され、閲覧者は自分の嗜好を反射した鏡の部屋にいる。
マネタイゼーションの問題
ここで話を転じる。
ノートアプリReflectの創業者はこう言っている。VCマネーは成長至上主義を強いる。結果として肥大化したプロダクト、買収されて消滅、燃え尽きたスタートアップが生まれる。だからサブスクで持続可能なビジネスを作る、と。
ソーシャルメディアはノートアプリと違う。ユーザーは表現とインタラクションを無償で提供している。「なぜ自分がコンテンツを提供しているのに金を払うのか」という感覚が生じうる。
だが、その表現とインタラクションが成立する「場」の維持には金がかかる。公園で遊ぶのは無料でも、公園の維持には税金がいる。
Blueskyの2026年予測記事が描く「人が選んで作るインターネット」に共感するなら、選択肢は限られる。VCマネーに依存すれば成長至上主義に巻き込まれる。広告モデルに依存すれば注意経済に巻き込まれる。どちらもBlueskyが批判している構造だ。
最も手っ取り早いのは、この場所の一員として応援し維持するための「市民税」を払うことだ。理想形は生協モデルかもしれない。だがまず、頭の片隅に入れておくといい。
結論
カスタムフィードはコミュニティではない。だがコモンズにはなりうる。
フィードがコモンズとして機能するかどうかは、参加意思の有無と設計者の価値判断の有無で決まる。Live Event Feedは時間的制約という機械的条件で収集するから、コモンズになりうる。「page42」や「マグカップ見せて」は参加意思を収集条件にしているから、コモンズ"的"フィードになる。
その境界を分けるのは設計の選択だ。そして、その設計を支える場の維持には、市民としての参加が要る。