ミラノ冬季五輪が始まった。時差−8時間。決勝のほとんどが日本の深夜から未明にかけて行われる。見たくても身体が寝ている。

  これは毎回のことだ。しかし、毎回のことだからこそ、一度きちんと整理しておきたくなった。過去20年の五輪を「日本からリアタイで見られたかどうか」で分類すると、きれいに3つに分かれる。

リアタイの国、眠りの国、昨日の国

この表を時差の大きさで分類すると、3つのゾーンが浮かび上がる。

  • ✅ リアタイの国(東アジア):北京08(−1h)、平昌(±0)、東京(±0)、北京22(−1h)

  • 😴 眠りの国(欧州):トリノ(−8h)、ロンドン(−8h)、パリ(−7h)、ミラノ(−8h)

  • 📺 昨日の国(北南米):バンクーバー(−17h)、リオ(−12h)

2018平昌→2020東京→2022北京。3大会連続でリアタイだった。今思えばあれは奇跡的な配列だった。次にリアタイ圏に戻るのは2032ブリスベン(+1h)。あと6年先だ。

「眠りの国」と「昨日の国」は性質が違う

ここまで整理して、ひとつ気付いたことがある。「眠りの国」と「昨日の国」は、同じ「リアタイで見られない」でも性質がまるで違う

  欧州の−7〜8時間は、現地のゴールデンタイムが日本の深夜2時〜6時にあたる。物理的には同時刻で、リアタイ視聴は原理的に可能だ。ただ身体が眠っていてアクセスできない。「今」はそこにあるのに、自分の身体がそれを拒んでいる。

  一方、バンクーバーの−17時間になると、現地の夜の決勝は日本の翌日昼間にあたる。同時配信で見れば物理的にはリアタイだ。しかし画面の中のカレンダーは「昨日」を指している。同じ「今」を見ているのに、時間のラベルだけが巻き戻っている。

  構造を整理するとこうなる。

  • リアタイの国:「今」を共有している

  •   眠りの国:「今」はそこにあるのに自分の身体がそれを拒んでいる

  •   昨日の国:「今」を見ているのに、時間のラベルだけが巻き戻っている

「今」とは何か

ここで「今」とは何かという問題にぶつかる。

  物理的に言えば、「今」は地球上で一つしかない。UTC(協定世界時)がそれにあたる。東京が21時のとき、ミラノは13時で、バンクーバーは4時だが、UTCではすべて同じ瞬間だ。絶対時間においては、時差は存在しない。

  では時差とは何か。それは人間が太陽の動きに合わせて絶対時間に貼り付けたローカルラベルだ。太陽が昇れば起き、沈めば眠る。その生体リズムに合わせて時刻を割り振った結果が「タイムゾーン」であり、「時差」だ。

時間の3層構造

整理すると、時間には3つの層がある。

  • 絶対時間:物理的な「今」。地球上で一つ。UTCで記述される

  • 太陽時間:太陽の位置に基づくローカルな「今」。タイムゾーンで記述される

  • 体験時間:自分の身体が起きていてアクセスできる「今」

五輪のリアタイ問題は、この3層のずれから生まれている。絶対時間では同じ「今」を共有しているのに、太陽時間のラベルが違い、体験時間として身体が眠っているか、あるいは目の前の「今」が「昨日」として認知される。

時差とは何の帰結か

時差とは、人間が太陽に従属する生き物であることの帰結だ。もし人間が太陽と無関係に活動できる存在なら、タイムゾーンは不要で、世界中がUTCひとつで済む。五輪も常にリアタイだ。

  しかし人間はそうできていない。だから地球の裏側の「今」に手が届かない。ミラノの氷上で誰かが金メダルを獲る、まさにその瞬間、わたしたちは眠っている。