タイムラインは「なう」の川だ
Twitter型UIでは、任意の投稿がトップ・トピックとして扱われる。新しいものが上に来る。古いものは流れる。すべてが「今」だ。この設計は定着しているし、動かしがたい。
一方、人間はバイブスで投稿する。思いつき、気分、瞬間の反応。「今」の川にバイブスが流れ込む。これは自然なことだ。UIがそう誘導している。
問題は、コンテクスト付きの思索を同じ川に流したときに起きる。
文脈の不可視性
Followingタイムラインでは複数人の投稿が混在する。ある投稿に「前の文脈がある」こと自体がUIから判断できない。
書き手は5投稿にわたる文脈の中で書いている。読み手のタイムラインには、その5投稿の間に他の20人の投稿が挟まっている。文脈は物理的に分断されている。
文脈を読まない読み手を責めることはできない。文脈の存在が不可視なのだ。
関連性の乖離
同じ投稿を読んでも、受け手はoptimal relevance(最適関連性)を処理コストが低い方向に取る。
書き手の関連性が「語源の弁別」でも、受け手には「意味の議論」になる。書き手が区別を提示しているのに、読み手は内容への反応を返す。関連性の取得先がずれている。
文脈不可視のUIでは、この乖離が構造的に起きる。読み手は手がかりなしに関連性を推測するしかなく、自分にとって最も処理しやすい解釈を選ぶ。
訂正不能性
Twitter型UIには、誤りを含む投稿を構造的に訂正する手段がない。
リプ欄は構造的に従属物だ。トップ・トピックの下にぶら下がる補足として処理される。訂正をリプで行っても、元投稿の「今」としての地位は覆らない。
引用リポストはどうか。引用は元投稿への訂正ではなく、新しい「今」を生成する。引用した瞬間にそれは別のトップ・トピックになり、元投稿との関係は構造的に切断される。
しかも引用リポストは読み手にとってヘビーな塊だ。元投稿+コメントという二重構造が1枚のカードに押し込まれている。コメントは読まれず、引用元に飛ばれる。訂正の文脈は蒸発する。
反射的チャンクと2ステップ
ここに読み手側のファクターが加わる。
タイムラインの黙読行為は2ステップで構成される。第1ステップは「読む+反応の有無」が一体化した反射的チャンクだ。投稿を見て、いいねやリポストを押すか押さないかを判断する。この2つの行為は分かちがたく結びついており、ひとかたまりとして処理される。第2ステップは「次の投稿へ指を滑らせる」。
この反射的チャンクの中に、コメントを精読して文脈を追うという行為が割り込む余地はない。チャンク化しているからだ。
2つのファクター
なぜTwitter型UIでコンテクストは参照されないのか。2つのファクターがある。
書き手側: 任意の投稿が「今」でありトップ・トピックとして扱われるUI設計。 投稿間の文脈関係がUIに表現されない。
読み手側: 「読む+反応の有無」が反射的チャンクになっている行為習慣。チャンクの中に文脈参照が入り込む余地がない。
この2つが噛み合うことで、コンテクストは構造的に参照されない。書き手がどれだけ丁寧に文脈を積んでも、UIが文脈を不可視にし、読み手の行為習慣がそれを反射的に処理する。
バイブスの川にコンテクスト付きの思索を流すな。流す場所を変えろ。