昨日のVol.4で、わたしは一つ実験をした。会のあいだ、一切スマホを見ない。リュックにしまって出さない。相手のネームカードも気にしない。そうして見える風景は何か。
(写真1:会場はNTTデータSBC、うかわさんの職場。もう実家のような居心地の良さ)
(写真2:トーク後のおやつタイムには大阪名物「りくろーおじさんのチーズケーキ」)
集まったのは総勢30名以上。東京開催に引き続きカントリー・マネージャーの高野さんにお越しいただき、Interaction Design Labs(ひで部のいつもの面々)、配信担当の面々、大阪開催のご常連。ブルースカイキッドとブルースカイベビー。以前からオンラインで知っていて会いたかった人、名前だけ知っていた人、まったく知らなかった人。会場は熱気に包まれていた。
実験に際して、「オフライン」という言葉をやめてみる。オフラインはオンラインから生まれた後付けの呼び名だ。だから、代替のきかない身体がそこにある物理空間を「BASE」と呼ぶ。すべての座標の原点、ここを基準に世界を見る。
ソーシャル・メディアの見方の反転——これを思いついたのは数日前だ。年度初めからの社交的な忙殺のさなか、ふいに像が結んだ。これまでは、現実の関係をオンラインに写し取る方向で動いてきた。だが、その向きでは関係はその場所に縛られたままになる。場所が枯れれば関係も枯れる。逆だ。オンラインで見つけた関係を、BASEに開く。身体のある場所に持ち出して、初めて関係は場所から自由になる。対面を経た関係は、その場所が消えても残る。
昨日、その実験の最中に驚愕の事態が起きた。
Blueskyで古くから知っていて、実際には一度も会ったことのないユーザーに会った(以下、旧知のユーザーと呼ぶ)。その人が連れてきたのが、わたしがよく知る同僚だったのだ。
一瞬、これは理論の外れ値かと思った。だが違う。
ネットで人と出会うとは、どういうことか。ネットの海に、人は身体を伏せてたゆたっている。名前は見えても、身体は曖昧だ。BASEは、その海に浮かぶ島だ。出会いとは、海にいた人が身体を持って島に上がってくることだ。そして人は、島から海へ飛び込むこともできる。姿をぼかし、また泳ぎだす。
わたしはこう思っていた。島に上がってくるのは、一人ずつ、別々にだと。だが昨日わかった。違った。島に上がってきた人は、別の島でもう誰かと手をつないでいた。だからその手をたどると、隣の島に渡れる。海に浮かぶ島々は、人で繋がっていたのだ。
あの旧知のユーザーと、よく知る同僚。あとで分かったことだが、二人はBlueskyで知り合い、別の集まりで実際に会い、友人になっていた。オンラインで見つけ、身体のある場所で会い、関係を保存する。わたしが数日前にようやく言葉にした反転を、二人はとうに生きていた。
わたしのグラフには、その一辺が無かった。わたしは同僚をオンラインで認識していなかったし、二人が会っていたことも知らなかった。だから昨日、ミートアップという場で初めてその一辺が見えたとき、三角形が閉じた。図の上で閉じたのではない。わたしの認識の中で閉じたのだ。驚愕の正体はこれだ。事故でも外れ値でもない。最初から繋がっていた線を、わたしが昨日初めて見た。それだけだ。
信頼の裏書きも、同じ構造で説明がつく。同僚は既に旧知のユーザーに会っている。その対面という取り返しのつかない一歩が担保になり、同僚を信頼するわたしに伝わる。この人が会っているのなら、と。そして担保は一方向ではない。二人が互いに会っているという同じ一つの事実が、両側から参照される。同僚が旧知のユーザーを裏書きし、旧知のユーザーが同僚を裏書きする。二つの担保は、別々のものではなかった。一つの対面が、両方を支えていた。
一人が身体で運べる関係の数には限りがある。だが、BASEにいる者どうしが互いを連れてくるなら、その限界はネットワークが補う。昨日の出来事は“事故”《インシデント》ではない。BASEが、海に浮かぶ島々であることの、最初の証拠だ。
懇親会は数時間に及んだ。トークが終わり、メインディッシュのピザが届くまでに二時間ほどの待ち時間があった。この空白が効いた。これまでのBlueskyでは経験したことのない、穏やかな社交の時間が生まれたのだ。スマホを断つ実験を、会場全体が図らずも共有していた。参照する画面がなく、ただ待つ。その数時間に、関係はBASEへ開かれていった。
スマホを断った数時間で見えた風景は、これだった。
オンラインを入口に、関係をBASEへ開いていくこのアプローチを進めるにあたり、Bluesky Meetupは重要な役割を果たし続けるだろう。対面で集まれる人数は、オンラインのソーシャルグラフに比べれば知れている。数万のユーザーに対し、ひと部屋に入るのは数十人だ。だが、その小ささこそが効く。一人ひとりの記憶に、関係に、大きな豊かさと可能性を保存する。オンラインは広く探すことに長け、BASEは深く保存することに長ける。
そして昨日、わたしはその反転を既に生きている二人に出会った。理論は、現場に遅れてやってくる。わたしが言葉にする前から、人はオンラインで見つけ、BASEに開き、友人になっていた。わたしの仕事は、発明ではない。既に起きたことに隠れている構造の発見だ。