フォローという負債
Twitter型UIにおいて、フォローは購読ではない。関係性の可視化である。有向グラフの矢印が情報の流れではなく承認の方向を示すため、フォローを外す行為は縁切りとして読まれる。
フォローは継続的な承認の約束である。一度フォローすれば、外すまでその関係性は可視化され続ける。フォロバの期待、フォロワー数の増減、相互関係の有無。これらすべてが心理的負債として蓄積される。
いいねの軽やかさ
いいねはこの構造から自由である。
いいねの良さはミニマルで、その場限りであることだ。フォローは継続的な承認の約束だが、いいねは「この瞬間、あなたを見た」という接触である。関係性の負債を負わない。だが、きざしにはなる。未来への切符かもしれないし、それきりでもいい。強制がないから軽やかである。
声の大きい反応と静かな一票
ソーシャル・メディアにおいて、リプライや引用は「声の大きい反応」である。可視性が高く、エンゲージメントとして計測される。しかし、その多くは論点のすり替えや的外れな指摘である。UIが精読より反射、理解より表明を報いる設計になっているためだ。
一方、いいねは静かな一票である。読んだ、わかった、それだけを伝える。理解している人はわざわざ「わかります」とは書かない。書く必要がないからである。声の大きい反応がノイズで、静かな理解が本流であることは少なくない。
浄土教としてのいいね
浄土教において、念仏は最小の宗教的実践である。複雑な修行も学問も要らない。ただ「南無阿弥陀仏」と唱えるだけでよい。
いいねもまた、最小の社会的実践である。リプライも引用も要らない。ただボタンを押すだけでよい。その軽やかさが、関係性の負債から解放する。
Blueskyのフィード文化との親和性
Blueskyのフィードはフォロー関係に依存しない。アルゴリズムやカスタムフィードによって、フォローしていないアカウントの投稿も流れてくる。この設計は、いいね浄土教と相性がいい。
フォローせずともフィードで出会う。いいねを押す。それで十分である。関係性を積み上げる必要がない。だが、そのいいねがきざしとなり、未来への切符になることもある。強制がないから軽やかである。